スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

考え方は同じ 百人町から早稲田へ 東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」⑤

私の街歩きの原点は祖父です。殆ど記憶に残っていませんが母の話によると祖父は初孫の誕生が大そう嬉しかったらしく東京中連れ回していたそうです。

それから勝海舟も原点の一人です。

尊敬する人物であり、街を歩き土地柄を知るという考え方を教えてくれました。私は昔ながらの土地と歴史やそこにある勾配に興味を持っています。

近年では古地図が簡単に手に入るようになりました。さらに情報をあさっていたところ東京スリバチ学会を知りました。
西戸山公園野球場
東京スリバチ学会のフィールドワークに参加する人はそれぞれが独自の視点で街を見ています。「地形」、「暗渠」、「古道」、「土地とエピソード」等等です。大変、刺激的です。

「スリバチ地形!?」

数名が冗談ぽく言っていました。百人町三丁目を抜けた所にある西戸山公園野球場横の公園です。昔、池でもあったのでしょうか?古地図を見ても塗りつぶされています。
P1440663.jpg
その通りは一旦下ってクロスする通りを境にまた登っています。昔の谷間?百人町二丁目と三丁目を区切る道路です。水の流れがあったかの様に浸食しています。

江戸時代の古地図を見ると当時も百人町(二丁目)の北の堺に位置する道でした。

川の流れらしきものは記載されていません。土地がこれだけ削れるにはもっと大きな時間のスケールで考える必要があるのでしょう。大雨が降った水が集まるだろうな…。
戸山小学校と海城学園のT字路
戸山公園の南側を歩いていました。この辺りは緩やかな起伏があり歩き甲斐のある道です。面白いミラーを見付けました。戸山小学校と海城学園の間にあるT字路にあります。

この違和感は何だ?…T字路の両側が一方通行の場合は矢印をあえて表示する意味はあるのだろうか?
戸山公園の南の道
戸山公園の斜面が削られてできた真っ直ぐな道に出ました。明治通りに向かって緩やかに下っています。明治時代の古地図ではここで道は南に直角に折れていました。

江戸時代の古地図では緑色に塗られ道すらなかった様です。昭和22年航空写真にはこの道が写っていました。いつできたのか興味をそそられます。
明治通りから見る箱根山?
明治通り出て信号待ちをしていると眼前に窪地と小高い丘がありました。取りあえず撮っておきました。標高44.6mの山の手線沿線で最高峰の箱根山では!

尾張徳川家の下屋敷があった所で庭園を造る際に自然の地形を利用して造られた築山です。東京スリバチ学会としては手前の窪地の方が重要なのでしょう。

今回の目的は「平将門の北斗七星」なので独自ツアーを立てて行くことにします。ひとつの行動からまた次へとつながる仕事でも同じだと思いました。

フィールドワークで学んだ事は街を見るだけでも様々な視点があることです。

物事を多角的に見る事は街歩きだけでなく仕事でも重要なことです。多角的に見るとと言うことは時に物理的に見えない事も見ると言うことです。街歩きで言えば情報を元に過去の姿を思い浮かべるなどです。

疑問点、違和感があった事はすぐに調べる…これも重要です。時にすぐ答えがでない時もあります。そんな時はやはり多角的に調べることが大切です。

街歩きと仕事の考え方は同じだと感じました。

ほいじゃ
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 東京
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Crazybowler

Author:Crazybowler

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新記事
最新記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。