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神宮の前に登城 鹿島城山公園 鹿島と塚原卜伝(茨城県)③

え?ここが城跡?可愛らしい遊具に違和感を感じました。茨城県鹿嶋市の鹿島城山公園です。平安末期に鹿島政幹によって築かれた城と伝えられています。公園は元々は本丸があった所に作られました。

あの塚原卜伝も登城した場所です。
鹿島城山公園
鹿島神宮の参道を反対方向へ歩いて行くとT字路にぶつかります。左手には二の丸の跡にできた鹿島高校があります。右手に見える小高い丘が鹿島城山公園です。

遊具やウォーキングコースが設置された小高い丘と言った様相です。
鹿島城山公園
公園の東側から見通しが効きます。霞ヶ浦の一部「北浦」が見えます。かなり遠くまで確認できるので本丸としては打って付けの場所です。
鹿島城山公園
公園内をよく見ると昔の土塁らしき箇所が見付かります。木々に囲まれた平らな所に一ヵ所だけ盛り上がった所がありました。なんでしょう?これは?

昔の建物の跡?土俵?現代になって作られた意味のないデコレーション?

大きな地図で見る
鹿島城が最大規模だった時の広さは鹿島神宮の二の鳥居までありました。現在、店が並ぶ参道は城内でした。中世の頃にはそこで流鏑馬が行なわれたとのことです。

現在の鹿島高校がある場所も二の丸の一部なので全体像としては相当の広さを誇っていました。ちなみに大手門は鹿島小の前の国道18号線と県道51号線が交差する辺りだったと伝えられています。

鹿島氏は安土桃山時代に佐竹氏によって領地を追われています。江戸時代に徳川家康は鹿島家の血筋のものに領地を与え鹿島氏は再興しました。

江戸時代は平和な時代だったので堀を埋めたりと城は小さくなって行ったそうです。

塚原卜伝が没したのは1571年です。安土桃山時代の前に亡くなっています。卜伝が生きた頃の鹿島はどうだったのだろうか?ドラマで見た感じだったのか?

ただ一つ言えることは鹿島の人々にとって鹿島神宮という神域が絶対的な存在だったということです。

いざ…鹿島神宮へ

つづく…ほいじゃ
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