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交流についての原点回帰 群馬県指定史跡猿ケ京関所資料館②

電送技術が発達する前は文化、物、金、それ以外の様々な情報は人が運びました。人が行き来する事により物事が伝わり、そして交わり新しい形へと変化していきました。

発展のひとつの形だと思います。

交流【こうりゅう】
1 互いに行き来すること。特に、異なる地域・組織・系統の人々が行き来すること。また、その間でさまざまな物事のやりとりが行われること。「東西の文化が―する」「経済―」
Goo辞書より参照~
群馬県指定史跡猿ケ京関所資料館
交流が自由な時代とそうでない時代がありました。その一つの要因が関所です。日本で最初に関所が設けられたのは飛鳥時代と言われています。時代背景ごとに関所の設置の有無や意義は変化して行きました。

【古代】
 関所を設置して畿内を防御した。鈴鹿関、不破関、愛発関の三関と呼ばれた。
【中世】
 武士政権、荘園がおのおの関所を設置。収入源とした関所、料金徴収と引き換えに安全な旅を保証。
【安土桃山時代】
 織田信長、豊臣秀吉は関所を廃止、自由な行き来きが可能な時代。
【江戸時代】
 軍事・警察上の理由から関所を設置。江戸後期には多少の規制緩和あり。明治維新で廃止。

江戸時代の関所の重要管理項目は「入鉄炮出女」でした。

江戸への武器の持ち込みと人質として江戸に住まわされていた大名の妻の無断出国は幕府の警備上の重点項目でした。時代が経つと通行手形の発行基準が緩和されて行きます。

江戸後期には関所近くの茶屋で料金を払えば手形を手に入れることができる様になったそうです。
群馬県指定史跡猿ケ京関所資料館
関所に残る手形は当時の人々の足跡の様です。私が訪れた猿ヶ京関所から歴史に名が残っている人の手形が発見されています。良寛和尚です。

江戸時代後期に活躍した越後国出身(現在の新潟県)の曹洞宗の和尚です。手形は歴書上の通説を覆す発見だったそうです。

猿ヶ京関所資料館には鉄砲の通関する際に使われた手形や数々の女人手形などを見ることができます。また、当時が旅で使われた道具、地図、本などが展示されいます。

江戸時代の旅文化を視覚的に知る事ができます。
群馬県指定史跡猿ケ京関所資料館
関所にはメリット・デメリットがパッと浮かぶだけでこれだけあります。

メリット:治安維持、禁止物の流入を断つ、独特の文化育成、人口調整機能
デメリット:経済効果、文化交流の抑止、文化の標準化、低所得地域の荒廃

江戸時代と明治移行の違いは開かれた貿易、関所の廃止です。人・物・金・情報の移動に関かんする規制緩和が国内外で同時に行われました。

明治維新後に東洋の端のミステリアスな島国は世界でも代表的な国の一つまでになります。

国内外の交流が停滞していた江戸中期、後期に幕府自体が発展せず弱体化したという見方もできます。

そして、押し寄せる外圧や西洋文明との差を知り国内で革命が起きて幕府は倒されたのでしょう。

さらに電送を使ったメディアの発展すると日本国内では文化や言葉の違いが薄くなり、さらに世界規模な文化の標準化がジワジワと進んでいます。数百年後の世界が楽しみです。

その過程には混沌とした時代が続くでしょう。また、選択肢の多い時代、複雑化した時代とも言えるでしょう。っして、物事が複雑化して起こる問題があります。

そんな時には原点回帰することが大切でしょう。

電送技術がない時代の交流こそが原点だと思います。関所はその交点にあたる存在です。猿ヶ京関所資料館で江戸時代の交流の断面図を見たような気がしました。

現代人に交流について原点回帰的視点からヒントをくれる場所です。

ほいじゃ
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