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歴史であり人の性 群馬縣護國神社①

気になる場所がありました。昨年、高崎観音山を訪れた時に通り過ぎました。背の高い深い木々の合間に見える鳥居に魅力を感じていました。そして2013年、桜の季節に訪れるチャンスが来ました。
群馬県護国神社
群馬縣護國神社です。木々の高さから歴史があるのかと思いきや創建は1941年の創建でした。1941年といえば12月8日に太平洋戦争が開戦した年です。12月8日はあのパールハーバーの日です。

満州事変は1931年のことなので創建時は日本は戦争状態にありました。
群馬県護国神社
歴史を紐解くと1909年(明治42年)に群馬県招魂会が結成に遡(さかのぼ)ります。当時は高崎公園の英霊殿で殉職者の招魂祭を行っていました。1939年の制度改正で1県1社の護国神社を創建されることになりました。

しょうこんさい【招魂祭】
1 死者の霊を招いて行う祭り。
2 招魂社の祭り。各地の護国神社で行われる。東京の靖国神社で行われる春季大祭・秋季大祭をさしていうこともある。~Goo辞書参照

しょうこんしゃ【招魂社】
明治維新前後から国家のために殉難した人の霊を祭る神社。各地に建てられ、昭和14年(1939)護国神社と改称した。~Goo辞書参照
群馬県護国神社
この神社には明治維新から第二次世界大戦までの群馬県の出身者、関係者が祀られています。その数、4万7千柱以上です。戦後のGHQ統治下、誠霊廟や上野神社と呼ばれた時期もあります。

1954年に現在の名称に戻りました。

鳥居から伸びる道は烏川を超え高崎の中心(現:高崎市役所、旧:高崎城)に着きます。
群馬県護国神社
招魂社といえばアジアで常に物議を醸す靖国神社です。元々、明治維新で殉死した新政府側の英霊を祀った東京招魂社が始まりでした。明治12年、明治天皇の命名で靖国神社と改称されました。

靖国問題は政教分離の抵触、殉死者と宗教の自由、公人と過去の戦争の歴史認識などが複雑に絡み合い答えがでないまま今に至っています。

一つ言えることは国の命令や希望しない戦争で亡くなった多くの人々が過去にいたことを忘れてはならないことです。そして、未来で同じ事を繰り返す可能性があるということです。

それが歴史であり人の性です。

ほいじゃ
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