スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

当時の人はべらぼうに歩いた 清水寺と田村堂 高崎観音山の桜⑥

歩き回った末に辿り着いたこの場所で心が穏やかになった気がします。高崎観音山の桜を見に訪れた際に周囲を散策しました。そして、清水寺に辿り着きました。

山門の上の空間は格別でした。
高崎観音山 清水寺
眼下には山の急斜面と遠くに高崎の街を眺望できます。太陽も傾きかけた頃だったので暖色の日差しが山門の中に差し込んでいます。心癒される光景した。
高崎観音山 清水寺
私は駐車場から歩いて来たので清水寺に続く長くて急な階段を登って来ていません。見るからに良い運動になりそうな階段です。

車がない時代の人々の運動量はさぞかし多かったことでしょう。
高崎観音山 清水寺
清水寺の建立は古く808年のことです。坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)討伐の際に戦死した霊を慰めるため開いた霊場でした。

寺の正式名は真言宗豊山派華蔵山清水寺です。別名を紫陽花寺と呼びます。桜でなく紫陽花の季節ならさぞかし素敵な光景だったのでしょう。
高崎観音山 清水寺 田村堂
本堂の横に一軒のお堂が建っています。田村堂と呼びます。中にはたくさんの人形が飾られています。坂上田村麻呂にちなんだお人形なのでしょう。

2013年のNHKドラマに「火怨・北の英雄 アテルイ伝」がありました。

アテルイとは蝦夷(えみし)をまとめ大和朝廷と戦ったとされる人物です。蝦夷とは大和朝廷が東北地方、北海道に住む人々を差別的に呼ぶ名称でした。

Wikipediaには次のような表記がありました。

「政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団」

当時、支配地域を広げようとしていた大和朝廷を受け入れず抵抗していた人々がいました。その蝦夷を討伐するすために送られたのが坂上田村麻呂でした。

結果は田村麻呂の勝利し降伏したアテルイ(阿弖流為)京で処刑されました。

群馬県高崎からアテルイの本拠地だった岩手県奥州市あたりまで歩くと450㎞くらいはあります。田村麻呂自身は京都から来て東北で戦いました。

一体この遠征で何㎞を歩いたのでしょう?

1日1万歩とかカロリーを抑えてなんて言っている現代人…当時としては取るに足らない歩数です。また、それだけ歩けばどんなに食べても太らなかったのでしょう。

この百年くらいで人間の本質である歩くという行為が激減しています。高崎観音山を歩き回ったくらいで満足しいる私はまだまだです。

ほいじゃ
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 神社・仏閣巡り
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Crazybowler

Author:Crazybowler

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新記事
最新記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。