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日本人が必要な理論的IF力 思考力その3

人の歴史は戦争と平和が一対です。戦争が終わり平和な時代に入り、平和もピークを過ぎるとバランスを失い戦争へと突入します。

現代日本人は悠久の歴史の平和な時代に生きています。

命のやり取りが長きに渡り続いた戦国時代に生きていたらどの様に考えるだろうか?どのように生き残るか?乱世の中でどのように名をあげるか?
$生涯学習!by Crazybowler-2013年冬 群馬県みなかみ町
【-2013年冬 群馬県みなかみ町】

論理的IF力の質が問われると思います。「もし、◯◯なら、××する。」と発想して様々なリスクに自然と対応していくでしょう。

「もし」も1回だけでなく複数回繰り返し未然予防をしていくでしょう。

私たちは平和な時代に豊かになり過ぎて感覚が鈍ったのでしょう。

これからの時代は何が起こるか分からないと言われます。しかし、本気でそう思い対策している人はどれだけいるでしょうか?

私もまだ不十分だとと思います。日々情報収集して明日への道を常に模索しています。

戦後時代の「三大英傑」が参考になります。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のことです。戦国時代の歴史を知れば知るほどIF力が欠かせないことが分かって来ます。

【三大英傑 論理的IF力の比較】
 信長<秀吉<家康

信長の軍事・経済政策は当時革新的でした。現在の安土城跡周辺は田んぼに囲まれていますが、当時は琵琶湖の湖畔でした。部下には琵琶湖湖畔に複数の城を建てさせました。

なぜか?「もしもの時」の海上輸送路であり、退却、進軍の道です。軍事的に高いIF力を持った天才でした。

信長もIF力が及ばなかった本能寺の変で命を落とします。

秀吉は本能寺の変の直後に山崎の戦いで明智光秀を破り天下統一への道へをまっしぐらに進むことになります。山崎の戦いへ向かう「中国返し」に凄さを感じます。

当時、秀吉は毛利軍と戦っている最中でした。いち早く情報を得たため、毛利氏と和睦をして中国地方から一晩で畿内へ軍を移動させました。

【秀吉のIF力から生まれた準備】
①もしもの時のために協力な情報網を敷いていた
②道中の摂津衆に書状を送り軍がスムースに移動できる様にした
③出発時の人数より移動先での人数を多くした
(賛同者を短期に集めた)
④暗闇の中で夜通し移動できる準備があった

当時の夜は月が出なければ真っ暗です。月が出ても木々が生い茂った道では暗闇と同じです。沿道の住民の協力なしでは「中国返し」は実現しなかったでしょう。

松明(たいまつ)による照明、食事など供給があったとされています。

また、武具をすべて付けると数十キロになります。とても、高速移動はできません。軍の移動先に別に武具を用意していた可能性が大きいのです。

どんな想定をしたらそこまで準備ができるのだろうか?

その後、天下を獲った秀吉ですが、世代交代に失敗して豊臣の時代は終わりました。

信長、秀吉の失敗を見ていた家康です。信長は討たれ、秀吉は世代交代に失敗…長期に渡り持続可能な政権の仕組みを築きあげていきました。

「持続可能」というキーワードを実現するためには「論理的IF」や「想定外のIF」を繰り返し行う必要があります。そして、標準化して誰もできる形にしないといけません。

標準化⇒仕組み作り

あらゆる状況での未然防止策、対応策が準備されていなければなりません。結果として250年持続する社会を作りました。

どんな脳だったのか?知りたいものです。

欧米列強の植民地政策・重商主義化、帝国主義化などによる外圧は予見していなかったのでしょう。黒船来航を機に徳川の時代が終わりました。

現代の日本人は危機感の少ない時代を暫く生き論理的IF力が麻痺しています。

私たちの先祖はいくつもの厳しい時代をIF力で乗り越えて来ました。現代が少し平和過ぎただけです。太平洋戦争が終結してすでに68年目です。

必要なことは「論理的危機感」です。誰でも不幸、不運に遭遇し死は必ず来ます。

「想定外」という言葉を安易に使わないことが得策です。「想定外」と言いたくなったら「想定がりなかった」と反省すべきでしょう。

ほいじゃ
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