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教育とチャンス! 城下町を歩く(前編) 萩城跡(山口県)⑥

明治維新といえば下級武士出身者の活躍です。名もなきまま散った人もいれば、名前だけは辛うじて残った人もいます。後の明治政府で重要なポストを歴任した人もいます。

「歴史は勝者が書く」という言葉の通り長州藩の半ば散った人物も世に名前が多数残っています。萩の城下町を散策しました。
生涯学習!by Crazybowler-高杉晋作誕生地
高杉晋作生誕の地です。昭和になってもあった普通の一軒家です。高杉晋作は松下村塾で学び激動の時代に明エンジンとなり舵となった人物の一人です。

とても普通の一軒家で生まれ育ったことが分かります。

「短命+行動力」の人物は坂本龍馬に代表される様に歴史上注目され易い傾向にあります。高杉晋作については以前ブログで書いたことがあるので参考にしてください。

「なぜ彼は語り継がれるのか? 高杉晋作の墓 東行庵(山口県下関市)①」

生涯学習!by Crazybowler-高杉晋作 産湯井戸
高杉晋作の産湯の井戸が残っています。29歳で病死するまで短く熱く燃えた人物です。

1839年 高杉小忠太春樹の長男として生まれる
 学歴:私塾⇒藩校明倫館⇒松下村塾

1861年 藩命で上海へ渡航
 その後、尊王攘夷派の急先鋒となる

1863年 下関の外国船攻撃で奇兵隊を率いて総督となる
 奇兵隊は最初の身分を問わない軍隊⇒後の世に影響
 その後、脱藩して罰となる

1864年 四国連合艦隊の下関来襲後の交渉を任される
 その後、藩の保守派によって命を狙われ九州へ逃れる

 機を見て戻り奇兵隊を率いて藩内の保守派を一掃
  ⇒討幕への動きへ

1866年 第2次長州征伐(四境戦争)で全藩を指揮し幕府軍に勝利する。

1867年 肺結核のため死亡。享年29才。

師匠の吉田松陰を明治維新への第一走者とすれば第2走者だったのかもしれません。
生涯学習!by Crazybowler-木戸孝允旧宅
「維新の三傑※1」の一人木戸孝允(桂小五郎)旧宅が残っています。実際は藩医・和田家の家屋です。藩医・和田昌影は実父です。木戸孝允は三回名字が変わりました。

0~8歳 和田小五郎
8~33歳 桂小五郎(桂家養子)…養父母の死で実家で育つ
33~34歳 木戸貫治(藩命により改名)
33~36歳 木戸準一郎と改名
36~45歳 木戸孝允と名乗る=「孝允」は桂家当主を継いだ時の諱(いみな)
・年齢は数え年

中へ入った第一印象はリラックスできる庭がある家でした。サイズとしては他の変わらぬ一軒家ですがレイアウトがそれぞれです。西に大きな庭がありますが、私は南に面する小さな庭が気に入りました。太陽が当たる気持ちの良い家です。

※1 維新の三傑 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允ちなみに「維新十傑」というくくりもあります。

薩摩藩:西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀
長州藩:大村益次郎、木戸孝允、前原一誠、広沢真臣
肥前藩:江藤新平
肥後藩:横井小楠
公家:岩倉具視

下級武士でありながら活躍の場を与えられた理由には藩主毛利敬親の政策があったのかもしれません。身分を問わず有能な人物を登用するという方針です。

高杉晋作と木戸孝允の共通点は藩校明倫館で学び、吉田松陰から学んだことがある点です。

教育とチャンスは今の時代でも大切ですね!

会社という組織でもできている会社は少ないのではないでしょうか?

ほいじゃ
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