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高杉晋作の魅力は? 東行庵(山口県下関市)③

木漏れ日がそそぐ土の小道に並ぶ墓石は印象的でした。高杉晋作の墓地がある山口県下関市の東行庵に「奇兵隊及び諸隊士顕彰墓地」はあります。

時代の変革が起きる時に多くの志を持つ人々の命が散って行きました。今の私たちにその様な覚悟はあるだろうか?そんな問いを投げかけたくなりました。
生涯学習!by Crazybowler-奇兵隊士墓地 東行庵
「死ぬ気でやる」という言葉は今でも使います。明治維新の頃は本当に命がなくなりました。戦争に関わらずに済む今の私たちには想像ができない時代です。たぶん「命」の意味が違うのでしょう。

「奇兵隊及び諸隊士顕彰墓地」が作られたのは昭和46年です。

維新戦争で若くして亡くなった長州諸隊士の墓は子孫がいないために無縁仏になりかかっていました。東行庵の三世谷玉仙は各地から隊士の墓を集め供養しました。

一部に標識があり彼らの生涯が分かります。亡くなった時期、亡くなった理由は様々です。
生涯学習!by Crazybowler-福田公明墓地 東行庵
「奇兵隊及び諸隊士顕彰墓地」は高杉晋作の墓から続く道に並んでいます。これは住職の計らいか土地の関係でしょう。一人、高杉晋作の墓の隣に葬られることを遺言で書いた人がいます。

晋作の親友で奇兵隊の参謀・軍艦だった福田公明です。しっかりと隣で眠っています。
生涯学習!by Crazybowler-東行庵
後に第3,9代内閣総理大臣となる山縣有朋は騎兵隊で高杉晋作の部下でした。有朋が作った「無隣庵(むりんあん)」を晋作の愛人で死後に出家した梅処(ばいしょ)へ贈りました。

梅処(出家後の名前)=おうの(出家前の名前)

東行庵と呼びそこで晋作の魂を弔い続けました。ちなみに晋作には妻子がいました。正妻は、防長一の美人と言われた人です。男としてはなんとも羨ましい限りです。

加えて、東京招魂社に吉田松陰・久坂玄瑞・坂本龍馬・中岡慎太郎と共に祀られました。東京招魂社とは後に靖国神社と呼ばれるところです。

「高杉=靖国」を知っている人は少ないでしょう。
生涯学習!by Crazybowler-東行庵
私が東行庵へ行った時は幸運にも6日間の特別公開中でした。

東行庵の中はゆったりとした造りの日本家屋でした。庭を埋め尽くす緑は影を多く作り出し陰影を楽しむ日本人の心をくすぐります。

山縣有朋の書、伊藤博文の書、岸信介の「般若心境」の写経、小泉純一郎の色紙など多くの文化人が残したものが展示されており晋作が慕われていることを示しています。

私は入場料500円を払いお茶とお菓子をいただいてしばしの休憩を楽しみました。
$生涯学習!by Crazybowler-東行庵 墓石のかえるとはえ
文化人も含め人々が東行庵と高杉晋作を訪れる理由は何だろうか?命を短く燃やした行動力が魅力なのでしょう。その根本を作ったものは何だろう?

①教育
 明倫館(柳生新陰流剣術)、松下村塾(西洋兵学を含む)、昌平坂学問所

②見分と人脈
 江戸・東北で遊学(佐久間象山や横井小楠とも交友)、上海訪問、尊王攘夷運動(諸藩の志士と交流)

高杉晋作がただの過激な青年でないことは彼が受けた教育から分かります。また、後に明治維新の重要とされる人物と交流できたことも彼の見識を広げたことでしょう。

過激さと行動力、既成概念囚われない思考は吉田松陰とかぶるところがあります。松下村塾時代に影響を大いに受けたのかもしれません。

まさに新しい時代に向かって先頭グループを走っていた人だったのでしょう。

だからこそ、後に残った人々が彼を慕い弔い続けたのでしょう。

つづく…ほいじゃ
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