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なぜ彼は語り継がれるのか?II 東行庵(山口県下関市)②

高杉晋作の墓がある山口県の東行庵へ行ったことが人物像について調べるキッカケになりました。どうして語り継がれているのか?手元にある資料とネットで調べました。

やはり、「勝てば官軍」というのが一番だと思います。

歴史は勝者の結果論で描かれることがほとんどです。それだけでしょうか?
$生涯学習!by Crazybowler-東行庵 入口
(東行庵 入口)

高杉晋作が明治維新の功労者の一人である事は明確です。ただ、坂本龍馬級にならない理由があるはずです。色々と調べるとその過激さにあるのでは?と思いました。

・過激派、テロリスト的な一面(1862年)
  ○薩摩に対抗して外国人を討とうして未遂に終わる(情報が洩れ藩からストップ)
  ○幕府の政策に対抗して品川御殿山に建設中の英国公使館焼き討ちを行う。

 過激な行動が目に余り藩から呼び戻されました。

  ○1864年 功山寺挙兵
   第一次長州征伐の敗北で藩内の俗論派が台頭してきた時にクーデターを起こす。

  「俗論派」=おとましく生きて行こうする派
  「正義派」=幕府を倒し新しい世を作ろうとする派

 「正義派」が覇権を握り長州藩は討幕へと動き出しました。

・罷免、脱藩、逃亡歴
  ○1863年 奇兵隊を立ち上げた後に部下の揉め事で死傷者が出て総督を罷免される
  ○1864年 藩内に俗論派が台頭して福岡に逃れる(功山寺挙兵の前)
  ○1865年 功山寺挙兵のちに下関開港を推しため命を狙われ四国へ逃げる
$生涯学習!by Crazybowler-高杉東行(晋作)顕彰碑 東行庵
(高杉東行(晋作)顕彰碑)

時代が変わってもどこか主流派になり切れないアウトサイダー的な存在に感じます。長州藩としてはどうだろう?晋作の過激さ、行動力、実行力を考慮すると「弾」として考えれば藩の重要な戦力と考えたかもしれません。

…とは言え名が残る人物なので理由があるはずです。高杉晋作の功績は何か?

・討幕・開国という歴史の流れを長州藩で方向付けた一人
  例)功山寺挙兵、第二次長州征伐(四境戦争)

・江戸時代の身分制度をより緩やかなものに変えるキッカケとなった
  例)奇兵隊に誰でも入隊できる

・明治以降発展する西洋式軍隊の先駆け
  例)長州藩の常備軍である奇兵隊

・欧米勢力に屈しない精神力と交渉力
  例)下関戦争後の講和会議

他にあるかもしれません。ここで気付いた点は高杉晋作の固有の功績、能力ではなく幕末に活躍した他の志士も同様なことをやってきました。
$生涯学習!by Crazybowler-東行庵 高杉晋作像
(高杉晋作像)

もう一つ理由があると感じました。知名度より高い志士は明治維新の中盤から終盤に向けて重要な仕事をした人物か序盤から終盤を通して活躍をして明治時代に地位を得た人達です。

対して高杉晋作は中盤から後半に移行するところの1点で活躍した人物です。

始点と終点は目立ちますが中点はなかなかそうではありません。体が弱く27年という短い時間でで功績を上げた点は注目できます。

高杉晋作は明治維新の「One of them」です。しかし、重要な「One Piece」であることは疑いの余地はありません。

つづく…ほいじゃ
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