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弥生時代はここから 弥生坂 根津神社と周辺④

弥生時代の由来になった場所です。明治17年(1884年)に弥生坂の坂下の貝塚に赤焼の壺が発見されました。後に縄文式土器と違う事から地名を取って弥生式土器と呼ばれました。

今や日本史の一つの時代「弥生時代」まで地名が使われることになりました。
生涯学習!by Crazybowler-弥生坂【鉄砲坂】(文京区)
Google Mapで計測すると650m程度の比較的長めの坂です。

大きな地図で見る
文京区は東京都の中でも標識が多い場所です。その場所の歴史的、文化的背景を教えてくれます。例えば坂、旧町名です。弥生坂の途中には標識が三つもあります。

①弥生式土器について
②旧町名
③弥生坂について
生涯学習!by Crazybowler-弥生坂【鉄砲坂】(文京区)
実は弥生土器が見つかった場所は都市化が進む中で分からなくなってしまったそうです。現代も謎のままです。3つの場所が推定地とされています。

①東京大学農学部の東外側(サトウハチロー旧居跡付近)
②農学部と工学部の境(弥生坂途中の看板付近《上の写真》)
③根津小学校の校庭裏の崖上

昭和49年に「弥生二丁目遺跡」が東大工学部の敷地内で発見されています。倒れた木の根元から土器片や貝殻が採集されています。
生涯学習!by Crazybowler-弥生坂【鉄砲坂】(文京区)
弥生坂は明治以降にできた新坂です。江戸時代には御三家水戸藩の中屋敷がありました。明治2年に新政府が土地を収用して明治5年に「向ヶ岡弥生兆(むこうがおかやよいちょう)」と名付けました。

由来は水戸家第9代の徳川斉昭(なりあきら)の歌(1828年3月)です。(標識より)

「ことし文政十余りーとせいう年のやよいの十日さきみだるさくらがもとにかくはかきつくこそ」と述べ、次の歌が刻まれたました。

 名にしおふ春に向ふが岡なれば
   世にたぐいなきはなの影かな

昭和40年以降は町名が「弥生町」になっています。
生涯学習!by Crazybowler-弥生坂【鉄砲坂】(文京区)
別名を鉄砲坂と呼びます。途中で見上げるとある程度の勾配がだらだらと続く坂です。鉄砲をイメージさせる真っ直ぐで急な坂ではありません。鉄砲の様な坂?どんな坂?

標識が簡単にその疑問を一掃してくれました。坂下に幕府鉄砲組の射撃場が元々あったからです。「な~んだ」って感じです。
生涯学習!by Crazybowler-弥生坂【鉄砲坂】(文京区)
東大があるから文化的になったのか?文京区の標識には頭が下がります。ブロガーとして、歴史の探求者として調べ毎の手間が省けます。

歩き回っていたら弥生時代の由来になった場所に遭遇できて感動しました。

ほいじゃ
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