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日本史のホットゾーン熱田! 法持寺、古墳群 熱田神宮と周辺⑤

このお寺は日本史に明るくない人でも知る3人が関係しています。熱田神宮の西側に古墳が集中するエリアがあります。そこに法持寺(ほうじじ)があります。

まずは織田信長です。桶狭間の戦いを前にした夜、突然の出陣をして熱田神宮に集合しました。そこで戦勝祈願をしました。

あまり知られていないのですが次に法持寺を参拝して戦勝祈願をしました。桶狭間の戦いのワンシーンに出てくるお寺なのです。
生涯学習!by Crazybowler-法持寺(名古屋)
法持寺は弘法大師が建立されたお寺と伝わっています。「弘法筆を選ばず」とことわざにもなっている誰もが知る人物でしょう。真言宗の祖・空海のことです。

国内を旅をすると弘法大師縁の地が多い事に気付きます。北海道と沖縄を除く全国5000箇所以上だと言われています。

弘法大師は熱田神宮で参籠(一定期間こもり祈願すること)をしました。日本武尊を慕い自ら菩薩を彫り小祠に収めたのが法持寺の始まりとされます。
生涯学習!by Crazybowler-白鳥古墳(名古屋)
それにしても2ヵ所で戦勝祈願をする理由はなんだろう?第3の人物は日本武尊の登場です。

法持寺は白鳥古墳と隣接しています。日本武尊の墓と伝承が残る古墳です。ここで祈願する慰留は日本国の礎を作った日本武尊にあやかりたかったのかもしれません。

日本武尊は東国平定後に熱田を訪れ、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛(みやずひめ)を妃にしました。草薙剣を宮簀媛に託して旅立った伊勢で亡くなりました。

宮簀媛は熱田に社地を定め剣を奉斎鎮守したのが熱田神宮の始まりです。

日本武尊が死後に白鳥になって降り立ったと伝わる場所が白鳥古墳です。
生涯学習!by Crazybowler-断夫山古墳(名古屋)
白鳥古墳より少々北へ進むと断夫山古墳があります。断夫とは夫の死後に再婚しない女性を指します。まさに宮簀媛の事です。断夫山古墳は東海最大級の前方後円墳です。

全長:151m
高さ(前方部):16.2m
高さ(後方部):13m

大きな地図で見る
現在では白鳥古墳、断夫山古墳は豪族尾張氏の墓だと言われています。ただ、日本武尊と宮簀媛のロマンを感じる伝説と切り離したくないのは私も同じです。

歴史にはロマンがあり、人生も同様です。

紹介できませんでしたが熱田神宮の南に徳川家康幼時幽閉地があります。松平竹千代、のちの徳川家康は幼少の頃、人質として各地を転々としていました。

織田信長の父、信秀は加藤図書助順盛に6才の竹千代を預けました。今川家の圧力で首を差し出さなければならなくなった時、加藤家は自らの子の首を竹千代として差し出したそうです。

加藤家の屋敷に祀ってある権現様にはその時の「槍の穂先」が収められていると伝承されています。

加藤図書助順盛がいなければ徳川幕府もなかった?

先日、紹介した源頼朝も含め熱田は本当に日本史オールスターズが集結したコアな場所です。日本史のホットゾーン熱田と言っても過言ではありません。

ほいじゃ
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