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戦国時代のコア 清洲城 清洲城③

歴史が嫌いだけど信長は好きなという人に何人か会いました。その背景には戦国時代という長期的な乱世があります。現代の自分と戦国の信長を重ねているのだと思います。

信長登場の後、戦国時代は終焉と加速します。信長と戦国時代を語る上で清洲城を外せません。
生涯学習!by Crazybowler-清洲城
1610年、清洲城は家康の命により城と城下町をまるごと名古屋に移転しました。「清須越し」です。その後、跡地という以外は昔を忍ぶものが残りませんでした。

21世紀の今、1989年に復元された清洲城模擬天守が視覚的に存在をアピールしています。
生涯学習!by Crazybowler-清洲城
清洲城
住所:愛知県清須市朝日城屋敷1番地1
開館時間:9:00~16:30(入館は16:15まで)
休館日:月曜日〈休日の場合は直後の平日〉、12月29日から31日
 (桜の花見期間・清洲城ふるさとまつり期間は開館)
料金:大人300円、小中学生150円
アクセス:
 名鉄 名古屋本線新清洲駅から徒歩15分
 JR 東海道本線清洲駅から徒歩15分
 東名阪自動車道 清洲東インターから車5分
 名古屋高速道路 清須出口から車5分
問い合わせ:清洲城管理事務所 電話052-409-7330

大きな地図で見る
戦国時代の幕開けは応仁・文明の乱(1467~1477)と言われます。清洲城は戦国時代の前に築城され、戦国時代の終わりを見届けた後に役目を終えました。

1405 斯波義重により築城
1478 守護所が清洲に移転(尾張国の中心地に)
1555 信長 入城
1560 桶狭間の戦い
1562 清洲同盟(徳川家康と同盟)
1563 信長 小牧山城へ移る
1582 清洲会議(本能寺の変後、信長の後継者を決める)
1600 関ヶ原の戦いの東軍後方拠点
1610 清須越し(尾張国の中心地でなくなる。)
生涯学習!by Crazybowler-清洲城
<歴代城主>
1405 斯波義重

???? 織田信友(織田大和守家)
1555 織田信長
1582 織田信雄(信長の次男)
1590? 豊臣秀次(秀吉の養子)
1595 福島正則
1600 松平忠吉(家康の四男)
1607 徳川義直(家康の九男)

気になるは清洲城の築城主の斯波義重(しば よししげ)です。誰?と思う方も多いと思います。
生涯学習!by Crazybowler-清洲城
斯波氏(武衛家)6代当主の斯波義重は足利幕府の守護大名です。父である斯波義将は将軍に次ぐ地位である管領(かんれい)として長年足利幕府を支えた人物です。

斯波義重も室町幕府管領、越前・尾張・遠江・加賀・信濃の守護として活躍しました。実はこの人物が織田家を作った人物なのです。

織田さんは元は斎部さんでした。

斯波義重が越前守護となった時に織田神社の子息(神官・斎部親真の子孫)が優秀であったことから近習に取り立てました。この人物が後に織田常昌と名乗り尾張国に領地を与えらました。

織田家の祖と言われる人物です。

常昌の子孫から信長が輩出されました。最終的に斯波氏は尾張から追い出され事実上滅亡しました。なんと、皮肉な歴史なのでしょう。

清洲城はそんな戦国時代のコアとなった城です。

ほいじゃ

P.S.
ちなみに「きよす」は「清洲」でも「清須」と書く場合があります。どちらが正しいということはないようです。古い文献には「清須」、比較的新しい文献には「清洲」と使われているようです。城の名前は固有名詞として「清洲城」となっています。
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