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人生の師 清洲城跡顕彰碑(清洲古城跡公園) 清洲城①

清洲城と聞いてピンとくる人はどの程度いるのでしょうか?「名古屋でどこを見る?」と聞かれれば「清洲城と熱田神宮」と即答します。清洲城は歴史を変えた織田信長の居城です。

清洲城古城跡公園に昔の姿はこれぽっちも残っていません。
生涯学習!by Crazybowler-清洲城跡顕彰碑(清洲古城跡公園)
清洲城跡は3エリアで構成されています。清洲城古城跡公園、清洲公園、清洲城(再現)です。

北側に位置する清洲古城跡公園には2基の清洲城跡顕彰碑と小社があります。一つ目の碑には「右大臣織田信長公古城跡」と書かれています。

大きな地図で見る
清洲城
愛知県清須市清洲古城448番地
清洲城管理事務所 電話052-409-7330
東海道線清洲駅より徒歩15分
清洲東インターより車5分
生涯学習!by Crazybowler-清洲城跡顕彰碑(清洲古城跡公園)
もう一つの碑には「清洲城霊碑」と右から古い漢字で書かれています。その下に漢文の長文が続きます。公式ページに2基の顕彰碑は幕末に造られたと書いてありました。

漢文がすらすら読めたらもっと楽しいのに…。
生涯学習!by Crazybowler-清洲城跡顕彰碑(清洲古城跡公園)
「清洲城霊碑」の右となりには信長公を祀る小社があります。派手な信長公のイメージとは真逆ですべてが地味な場所です。

1610年(慶長15年)から「清洲越し」がありました。家康公の鶴の一声で清洲城と城下町を現在の名古屋城の位置まで大移築しました。

豊臣恩顧の大名達に自費で移転を行わせ弱体化を狙ったとされます。

歴史の表舞台にあった清洲城はこの時を持って幕を閉じました。しかし、現在に至るまで清洲城跡地として大事に保存されてきたのが清洲古城跡公園です。

私は目を瞑(つむり)り当時を思いを馳(は)せます。何か感じるものがありました。

私の人生は織田信長抜きに私の人生は語れません。

<私の人生に大きな影響を与えた人物(時系列)>
松下幸之助(6歳頃)
⇒キュリー夫人(8歳頃)
⇒織田信長(10歳頃)
⇒徳川家康(15歳頃)
⇒本多宗一郎(18歳頃)
⇒勝海舟(22歳頃)
⇒フランクリン・コヴィー(30歳頃)
⇒老子(40歳頃)

織田信長がビックになるキッカケとなった桶狭間の戦いは子供だった私に3つの事を教えてくれました。

①作戦(戦略、戦術)の大切さ
②弱者だから負ける訳ではない(強者だから勝つ訳でもない)
③静と動の切り分けとタイミングの大切さ

大人になって童門冬二著「織田信長の人間学」で3つの意義を知りました。

①社会への意義
②仲間への意義
③個人への意義

信長公の組織マネジメントには①~③が常に1セットでした。これらの学びは常に私の根本的なコンセプトになっています。

信長公縁(ゆかり)の地を訪れるのは私の中で自然な成り行きでした。

もし、少しでも信長公に影響を受けたと思う方は是非とも清洲城跡へ行ってみてください。何かを感じ取れるかもしれません。

ほいじゃ
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