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道灌山と西日暮里駅 西日暮里駅~鶯谷駅ウォーク①

太田道灌…知っていますか?江戸城を作った人です。徳川家康より前の時代の人です。東京の歴史を語る上で欠かすことのできない人物です。

太田道灌は詳しい事が分かっていないミステリアスな人物でもあります。
生涯学習!by Crazybowler-道灌山
太田道灌(1432-1486)は室町時代の武将です。武蔵守護代でした。上司は扇谷上杉家の上杉定正でした。三十数回の戦を行い負けたことはありませんでした。

足軽戦法、築城技術は卓越しており後に武田信玄が手本にしたそうです。又、歌人としても有名で当時の天皇とも歌を詠み合いました。

しかし、道灌55歳の時に上司によって暗殺されました。「当方滅亡」と叫び亡くなったそうです。
生涯学習!by Crazybowler-道灌山
山手線西日暮里駅の横にある小高い丘を道灌山と言います。その頂上には西日暮里公園があります。この辺りに太田道灌が出城を建てたという逸話が残っています。

しかし、荒川区のホームページには公園の説明に道灌が出てきません。

実はこの場所は土豪の「関道閑(せきどうかん)」という人物の屋敷があった場所という説も残っています。何が本当の事か分かっていません。
生涯学習!by Crazybowler-道灌山
はっきりしている事は江戸時代から明治にかけて道灌山は虫聴きの名所でした。ひぐらしの里と呼ばれた地域だったことです。日暮里(にっぽり)という地名は日暮(ひぐらし)の里から来ています。

その前は「新堀」と呼ばれたそうです。「しんぽり」⇒「にっぽり」!?
生涯学習!by Crazybowler-道灌山
上の写真から西日暮里駅の道は山を切り通した事がも分かります。この台地は上野の山から飛鳥山(あすかやま)まで連なる台地です。

道灌山から上野方面へ伸びる台地は諏訪台と呼ばれています。海水面が高かった縄文時代から陸地で人が住んでいた場所です。諏訪台は江戸時代の頃に花見の名所として知られていました。
生涯学習!by Crazybowler-道灌山と西日暮里駅
切り通しの上の歩道橋から西日暮里駅をパッと見すると「空中駅?」と感じます。車が下を抜け上では電車に乗る人が見えます。道の両側の崖は駅よりもさらに高く昔は山だったと実感できます。

平地にはない妙な立体感が西日暮里の見所かもしれません。
生涯学習!by Crazybowler-道灌山
この地には名立たる絵師が訪れ絵を残しています。「東海道五十三次」で有名な歌川広重もこの場所を描いています。数々の文人が訪れ言葉を残しています。

十返舎一九:
桃さくら鯛より酒のさかなには
みどころ多き日くらしの里
生涯学習!by Crazybowler-道灌山
正岡子規:
山も無き武蔵野の原をながめけり
車立てたる道灌山の上

昔は筑波や日光の山まで見通せたそうです。コンクリートと薄汚い空気で遮られています。今では虫の声が車と電車の騒音になっています。

しかし、頂上の公園に立つと妙な静寂感が感じられ虫の声が聞こえそうな気がします。

ここを起点に鶯谷駅まで歩いてみます!

つづく…ほいじゃ
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