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歴史の荒波から残った物 東叡山寛永寺

現在の上野公園内にあった寛永寺はどこにあるのだろうと彷徨(さまよ)い東京国立博物館の裏に出ました。「三つ葉葵」を見付けました!徳川家の霊廟(墳墓)があるはずです!
生涯学習!by Crazybowler-寛永寺
門柵の間から除くと正面には正体不明の建物がありました。どうもここは霊園の様です。でも、一般の霊園とは様子が違います!
生涯学習!by Crazybowler-寛永寺
そこから少し右へずれると赤い門らしき建造物を見付けました。まさに霊廟の入り口にありがちな構えです。(帰宅後に調べたら常憲院(綱吉)霊廟 勅額門の様です。)

常憲院殿霊廟勅額門
常憲院は第5代将軍徳川綱吉の法名
1709年(宝永6年)
生涯学習!by Crazybowler-寛永寺 常憲院殿霊廟勅額門
さらにその右手には古い時代の石垣があります。すでに一般の墓地ではありません!ここだけ木々が茂っていて不自然です。
生涯学習!by Crazybowler-寛永寺 徳川家霊廟
門から離れ塀に沿って右方向に進むと石垣の上に宝塔の頭が見えました!こんなに立派な宝塔は徳川家霊廟以外ありえません!
生涯学習!by Crazybowler-寛永寺 徳川家霊廟
次に立派な門が見えて来ました!「文化財愛護 重要文化財 寛永寺 厳有院殿霊廟 勅額門 並びに水盤舎 江戸時代延宝9年建立」と書かれた看板がありました。
生涯学習!by Crazybowler-寛永寺 徳川家霊廟
厳有院とは4代将軍徳川家綱(1651~1680)の法名です。10歳で将軍になり39歳の時に亡くなりました。門の横には立派な石灯篭もあります。
生涯学習!by Crazybowler-寛永寺 徳川家霊廟
明治維新後に家綱公の霊廟は解体されました。太平洋戦争中の被災などで多くの歴史的建造物は消えました。しかし、この門は奇跡的に残りました!

厳有院殿霊廟 勅額門
1861年 延宝9年
*家光公の上野霊廟の勅額門を家綱の霊廟に使用した。
生涯学習!by Crazybowler-寛永寺 徳川家霊廟
塀に沿ってさらに進むと墓の向こうに木々が茂る別の石垣が見えました!徳川家霊廟がいくつもありそうです。それもそのはずです!

寛永寺の御霊廟には六名の将軍が埋葬されています。
4代家綱公
5代綱吉公
8代吉宗公
10代家治公
11代家斉公
13代家定公

ここは寛永寺霊園と呼ばれJR鶯谷駅のすぐ横ないあります。駅から見ると高台の上にあります。

増上寺にも空襲から徳川家霊廟の一部が残っていました。後世に残る物と残らぬ物の違いはただ単に運だけなのか?疑問が残ります。

ちなみに霊廟は公開されていないそうです。残念!

ほいじゃ
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