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緑に戻り始めた! 足尾銅山 銅親水公園①

思ったより緑が戻っています。明治から昭和にかけて続いた日本初の大規模公害「足尾鉱毒事件」の象徴的な現場です。1887年と1885年に渡良瀬川の鮎が大量死して事実上表面化しました。
$生涯学習!by Crazybowler-銅親水公園
そして、鉱毒ガスによって酸性雨が降り木々を枯らし、禿やになった山には保水能力が無く崩れて行きました。現在でも崩落は続いています。
生涯学習!by Crazybowler-銅親水公園
昭和52年(1977)当時の写真が残っています。木のない赤い台地の写真です。私はこの光景を想像して来ました。人々の努力によって緑が戻り始めています。
生涯学習!by Crazybowler-銅親水公園
足尾鉱山事件のもっとも象徴的な場所に銅(あかがね)親水公園ができています。足尾砂防堰堤を横目に見ながら松木川にかかる吊り橋「銅橋」を渡ります。
生涯学習!by Crazybowler-銅親水公園
ダムの壁面に描かれた特別天然記念物ニホンカモシカです。ここはニホンカモシカが生息する地域です。目撃情報が時々ある様です。
生涯学習!by Crazybowler-銅親水公園
足尾砂防堰堤は松木川・仁田元(にたもと)川・久蔵(くぞう)川の三つの川が合流点する所にあります。鉱毒を含んだ土砂が洪水で流れ下流域の農作物に被害を出していました。
$生涯学習!by Crazybowler-足尾砂防堰堤
昭和29年(1954)にダムは完成しました。ダムは手間から見ると7段の滝に見えるそうです。

今でも殺風景な現場を見て当時の事を想像すると多くの人々が苦しみを推察できます。

銅親水公園から奥は松木地域と呼ばれ1315年から人が住んでいました。公害で明治35年(1935)に松木村は廃村になりました。

最盛期には日本一銅生産量を誇り日本の発展に貢献する大義を果たしました。反面、人々の小さな生活が犠牲になり大きな不幸を呼びました。

どちらも忘れてはいけない事実だと考えます。

つづく…ほいじゃ
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