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お江と秀忠のお墓 現在と過去

戦国時代から安土桃山時代を経て江戸時代へと激動の歴史を生きた人々は現代を見てどの様に思うのだろうか?答えはないが想像して見ると面白い!

考えて見ると江戸末期から第二次世界大戦を経て高度成長期までの日本も激動の時代でした。
$生涯学習!by Crazybowler-徳川家墓所
2011年の大河ドラマは戦国時代から江戸時代を生き抜いた「江」が主人公です。江は夫秀忠公と共に増上寺の安国殿裏にある徳川家霊廟に眠っています。

実は元々の霊廟は違う場所にありました。
$生涯学習!by Crazybowler-台徳院霊廟 惣門
第二次世界大戦末期の3月10日の東京大空襲までは現在の芝公園の南側に台徳院霊廟(1633年竣工)がありました。台徳院霊廟惣門を奥に進み左の方向です。

現在はザ・プリンスパークタワー東京があります。
生涯学習!by Crazybowler-旧徳川霊廟 水路跡
ちなみに台徳院とは秀忠公のことです。

実際に惣門をくぐり階段を登って行くと「水路跡」があります。2002年の発掘により発見されました。石列の8m下に当時の石垣と水路がありました。
生涯学習!by Crazybowler-旧徳川霊廟 惣門跡
現在の日比谷通りから霊廟までは御成道がありました。道はこの水路渡り惣門に辿り着きます。「水路跡」の看板の先には惣門跡があります。

惣門は元々この場所にあったということです。
生涯学習!by Crazybowler-旧徳川霊廟 勅額門跡
すぐ先には「勅額門跡」があります。台徳院霊廟はこの門を抜けず左の方へと進みます。その先の御成門、丁字門を通り霊廟へと達します。

勅額門を通り真っ直ぐ進むと拝殿と本殿がありました。
$生涯学習!by Crazybowler-台徳院霊廟
台徳院にあった勅額門、丁字門、御成門などは埼玉県の狭山不動寺に移築されています。西武鉄道の堤康次郎が戦後に焼けたこの地を買収しました。

昭和33年にホテル用地として再開発する際に発掘して供養した後に残物を保管する場所として不動寺を作ったそうです。

当時、増上寺は苦しい状態にありましたので、西武グル―プの資金によって文化財が保護されたということになります。



時は善悪がないまま水の様に流れて行きます。

流れた所が歴史として刻まれます。

記憶が薄れ風景は変わりますが記録により歴史は保存されます。

当時の人が今の風景はどのように思うのでしょうか?

ほいじゃ
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