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芝東照宮 一生忘れらない光景…

東日本大震災の2日前に見た光景です。その日、江の所縁の地を訪ねて芝公園を歩いていました。そして、芝東照宮に辿り着きました。
生涯学習!by Crazybowler-芝東照宮
芝東照宮は四大東照宮の一つで徳川家康を祀る神社です。(他は日光東照宮、上野東照宮、久能山東照宮です。)

家康が還暦に時に刻ませた自らの像「寿像(木造徳川家康坐像)」がご神体です。寿像は2011年4月17日に御開帳されます。
生涯学習!by Crazybowler-芝東照宮
芝東照宮
東京都港区芝公園4-8-10

1601年 家康が寿像を刻ませる
1616年 家康死去。
(遺言で社殿を増上寺に作る)
1617年 安国殿が竣工
1633年 家光が新社殿を建立
1641年 社殿を移転、鳥居など揃い社殿が整う
1873年 神仏分離により芝東照宮となる
1945年5月 空襲で寿像、神木のイチョウ以外は消失
1969年8月 現在の社殿が再建
生涯学習!by Crazybowler-芝東照宮
私が見た一生忘れられない光景とは、

手水所が不自然でした。水を杓子に入れた時に真っ黒い塊が視野に入りました。「まさか…」、まじまじと見るとやっぱり烏でした。

近づいても逃げる素振りは見せません。時々、風に煽(あお)られ体勢を整えるので生きている事は分かりました。目は閉じていました。

これ程烏の近に寄った事はなかったので稀な体験ができたと少々感動していました。その後、手水所を後に社殿に向かいました。

参拝をしようとどこに入れかた忘れた財布を数分探していました。
生涯学習!by Crazybowler-芝東照宮
突然、烏の狂想曲が空を包みました!手水所の方からも甲高い鳴き声が聞こえました。ビックリして戻るとさっきの烏が地面に叩き落とされ2匹の烏に襲われていました!

と言うよりは食べられそうになっていました。第一印象は「烏は共食いするんだ」でした。そして気づきました。

「そうか、さっきの烏は弱っていたんだ」

迷いました。私の頭の中で2つの選択肢が浮かびました。

①助ける(他の烏を追い払う)
②自然の摂理にまかせる

①の追い払う選択肢はその場しのぎだと直ぐに気づきました。私がいなくなればまた襲われます。それが条理でしょう。だから②の自然の摂理に任せました。
生涯学習!by Crazybowler-芝東照宮
一度、社殿に戻り参拝を済ませお守りを買い手水所に戻りました。さっきの烏は敵の来襲を一先ずかわして藪の中にポジションを取っていました。

2匹の烏は相変わらず囲む様に隙を狙っていました。そして、時に仕掛けていました。すると猫が一匹参戦して来ました!

ゆっくりと忍び寄り、素早く手を伸ばしました。
生涯学習!by Crazybowler-芝東照宮
さらに上を見るとどこからともなく猫が3匹ほど集まって来ました。頭上からは複数の烏がギャーギャーと不気味に鳴き続けました。

八方を塞がれた烏は絶対絶命です!

それでも最後の力を振り絞り応戦していました。
生涯学習!by Crazybowler-芝東照宮
私が見たのはそこまででした。この現場を目撃した老婆と会話をしました。

「もし、追い払っても結果は同じだから自然の摂理に任せるしかないでしょう。」

「そうだね、かわいそうだけど。」

時間が押していたので浜松町の駅に向かいました。

「弱ったものは肉と化し、他の生物の糧となる」…私が学んだ自然の摂理でした。
生涯学習!by Crazybowler-芝東照宮
空襲を受けても焼けずに残った1641年に徳川家光が植えたされるイチョウの木の横で起こった事件でした。

たぶん、烏は壮絶な戦いの末に食べられたでしょう。

現代人は生存競争のために金を糧の媒体とします。ビジネスの世界でも同様に弱った者はこの様に倒れて行くのだろうと思いました。

「私もがんばろう」と思い、その時に買ったお守りは肌身離さず今も持っています。

ほいじゃ
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