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スペイン広場(Piazza di Spagna)【ローマフィールドワーク】

スペイン広場(Piazza di Spagna)【ローマフィールドワーク】
スペイン広場があるピンチョの丘(Pincio)はローマの七つ丘に数えられない。国分寺崖線を思わせる急峻な崖は武蔵野台地に住人には馴染み深く感じられるかもしれない。
スペイン広場(Piazza di Spagna)【ローマフィールドワーク】
名前の由来はスペイン大使館があったこと。丘の上のルイ12世が創建のトリニタ・ディ・モンティ教会とスペイン広場が階段で接続されたのは1723年のこと。かつては一部をフランス広場と呼んでいたが次第にスペイン広場の名だけが残った。

崖下は縦横無尽に人が行き交う。
スペイン広場(Piazza di Spagna)【ローマフィールドワーク】
崖上からの風景が見事だ。
スペイン広場(Piazza di Spagna)【ローマフィールドワーク】
崖上から前面の高級ショッピングストリート・コンドッティ通り(Via Condoti)を臨むビューは爽快感がある。
スペイン広場GoogleEarth-001
Google Earthの画像なら歩いている時には見えない上空からのヴューをしっかりと見る事ができる。
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クロアカ・マキシマが流れていた所【ローマフィールドワーク】

大下水道ことローマのクロアカ・マキシマの経路は?Wikipediaにあった古地図をGoogle Earthに貼り付けてみた。大体だが位置は合わせができた。

赤い線が大下水道の経路だ。
クロアカ・マキシマ on Google Earth
【写真をクリックで拡大】

紀元前6世紀頃に作られた頃は開渠だっという説がある。古代ローマの発展に伴い次第に暗渠化したとされる。また、開渠部分と暗渠部分がもともとあったという説もある。

パラティーノの丘(南)、カンピドリオの丘(西)、エスクイリーノの丘(東)に囲まれた湿地帯の排水溝として生まれたクロアカ・マキシマは都市の発展とともに下水道化して行った。
クロアカ・マキシマ ネルヴァのフォロ(ローマ)
図によるとクロアカ・マキシマはネルヴァのフォロ付近から流れている。写真の下水道跡らしき遺構に想定流路を矢印で表わしてみた。
クロアカ・マキシマ フォロ・ロマーノ(ローマ)
下流へ進むとクランク状に蛇行し古代ローマの中心地・フォロロマーノの一番低いところを抜けていく。
クロアカ・マキシマ フォルム・ボアリウム(ローマ)
その後、パラティーノとカンピドリオの間の谷を経て「アルジェンターリのアーチ」前を横切る。すでにテヴェレ川の岸、ローマ最古の公共広場「フォルム・ボアリウム」があったところだ。

牛の市場があった場所、古代ローマの宗教的中心地、そして、ローマ初の剣闘士競技が行われた場所だ。

クロアカ・マキシマは古代ローマの主要部を通っていた大下水道なのである。

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クロアカ・マキシマの排水口と現在【ローマフィールドワーク】

クロアカ・マキシマ(Cloaca Maxima)は紀元前6世紀頃に作られたローマの下水道。クロアカは下水道、マキシマは大を意味し大下水道と訳せる。紀元前3世紀から紀元1世紀にアーチ式に改修された。
クロアカ・マキシマ(Cloaca Maxima)の排水口
現在でも排水口をテヴィレ川で見ることができる。水はチョロチョロと流れで出ている。当時のアーチなのだろうか?近代のアーチの中にもう一つのアーチが川面より高いところに。
クロアカ・マキシマ(Cloaca Maxima)の排水口
新しいアーチが屋根に、昔のアーチがベットになりホームレスが暮らしている。フェンスはあるが穴が開いている。
現在のクロアカ・マキシマは738mの雨水渠として利用されている。近代下水道の起源とも言える建造物は未だ現役だ。
クロアカ・マキシマ(Cloaca Maxima)の排水口
ちなみに別の排水口がすぐ横にある。調べると暗渠になったマラーナ水道(Aqua Marrana)の出口かもしれない。その昔は開渠だったらしい。資料が乏しく断定できない。
マラーナ水道(Aqua Marrana)の出口?
マラーノ水道の下流はコロッセオ、チルコ・マッシモなどの競技場付近から出た排水を流した下水道の可能性がある。

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ローマの暗渠蓋の上を歩ける谷間【ローマフィールドワーク】

ローマの暗渠蓋の上を歩ける谷間はサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ通り(Via di San Giovanni in Laterano)にある。歩道には2パターンの鉄製暗渠蓋がある。暗渠蓋をきっかけに1世紀頃の谷の深さと他の暗渠が見えてきた。
サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ通りの暗渠蓋(ローマ)
ローマの丘からテヴェレ川へそそいだ水が作った支谷のひとつで7つの丘のひとつ「チェリオの丘」とオッピオの丘(7つの丘のひとつ「エスクイリーノの丘」の南尾根)の間にある。
ローマ古地図
コロッセオから谷間の通りを300mほど登ると過去の遺構の上に建つサン・クレメンテ教会(Basilica San Clemente)がある。教会付近で通りを横からみると窪地になっているのが分かる。
サン・クレメンテ教会の谷間(ローマ)
12世紀の教会の下には4世紀の教会の層、さらに下には1世紀前半の遺構と2世紀後半のミトラ教会の層がある。そして第4層にはネロの大火(AD64年)で焼けた建物の遺構がある。

1世紀頃の谷間は現在より約20m下だったことが分かっている。
サン・クレメンテ教会と暗渠(ローマ)
サン・クレメンテ教会の地下が発掘されたのは1857年以降のこと。20世紀初頭まで教会の最下層に湖の様なおおきな水たまりがあった。1912~1914年の発掘作業でラビカナ通りの地下12mに長さ700mの排水溝が作られた。
最終的に古代ローマの下水道「クロアカ・マキシマ(Cloaca Maxima)」へ接続されテヴェレ川へ排水されている。(この内容は次回)
サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ通りの暗渠蓋(ローマ)
教会の最下層で音を立てていた水が暗渠蓋のある通りに一部流れているかは不明。また、地下に湧き出る水の正体も未だ不明だ。可能性として埋もれた地下の泉かローマ時代の水道の水で今も谷間の道を流れているのかもしれない。

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チルコ・マッシモ(Circo Massimo)【ローマフィールドワーク】

パラティーノの丘から見たチルコ・マッシモ(Circo Massimo)。ローマ7つの丘であるパラティーノの丘とアヴェンティーノの丘の谷間にあった古代の円形競技場。名前は「最大の競技場」という意味。
パラティーノの丘から見るチルコ・マッシモ
紀元前7世紀終わりから紀元前6世紀に作られ549年に役割を終えた。15~30万人を収容できたとされ戦車レースや運動競技が主に行われた。長さは640m、幅は120m。
パラティーノの丘から見るチルコ・マッシモ
現在はイベント会場やコンサートなどに使われる野原になっている。訪れた日に東側のエリアでイベントが行われていた。西側の敷地ではモレッタ塔の横で発掘作業が行われている様だった。
パラティーノの丘から見るチルコ・マッシモ
敷地の向こうに見えるカラカラ浴場が魅力的だった。
パラティーノの丘から見るカラカラ浴場

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カンポ・デ・フィオーリ広場【ローマフィールドワーク】

カンポ・デ・フィオーリ広場はスリバチナイト2で話題に出た場所は2014東京スリバチ学会ローマフィールドワークの際に前夜祭が開催された広場だった。
カンポ・デ・フィオーリ広場(Campo de' Fiori)【ローマ】
集合前に広場を一人で訪れた。一体の銅像に興味を抱く。1600年に異端とみなされ火あぶり刑に処せられたジョルダーノ・ブルーノという哲学者なのだと後から知った。この広場が処刑場だった。銅像は1869年製。

花畑【フィオーリ(Fiori)+カンポ(Campo)】の名を持つ広場は複数の顔を持つ。本当にお花畑だった15世紀まで、高級住宅地になった16世紀、1600年から1869年まで処刑場だった。その後は市民の市場となる。
カンポ・デ・フィオーリ広場(Campo de' Fiori)【ローマ】
現在は日曜日以外、午前中に市場(メルカート)が開かれテントが所せましと並んでいる。
カンポ・デ・フィオーリ広場(Campo de' Fiori)【ローマ】
夕方から深夜までは一変し若者も集まる飲み屋街と化し明るい声が絶えない。
バウラッリ通り(Via dei Baulari)【ローマ】
カンポ・デ・フィオーリから伸びる複数ある通り。その一本であるバウラッリ通り(Via dei Baulari)で集合直前に飲んだ。妙な事にローマというより日本にいるような気分だった。

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ポポロ広場(Piazza del Popolo)、ナポレオン広場から【ローマのフィールドワーク】

ポポロ広場(Piazza del Popolo)
【写真はクリックで拡大】

ローマのポポロ広場(Piazza del Popolo)。丸いのでどの様に撮影するか悩み試行錯誤した。「ピンチョの丘(ローマの七つの丘に含まれない)」にある「ナポレオン広場」から撮影したシメトリーな写真がベストだった。広場自体はシメトリーでも人の動きがアシメトリーになっている。ポポロ広場は古くから交通の要所でローマの入口だった。現在の姿になったのは19世紀になってからのこと。ちなみに「ナポレオン広場」に本人は来たことがない。

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グレゴリアナ通り(Via Gregoriana)の坂【ローマのフィールドワーク】

グレゴリアナ通り(Via Gregoriana)の坂
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ローマ・スペイン階段の上へと続くグレゴリアナ通り(Via Gregoriana)の坂。ローマと東京の違いは通りと坂の名前のあるなし。東京は名前を持つ坂が多くある。しかし、名を持たない通りは多い。一方でローマは全ての通りに名前がある。しかし、坂には名はない。イタリア人に聞くと通りは住所として使われているためだと言う。坂に名を付けて親しむ文化は日本以外にあるのだろうか?ふと疑問に思った。

トラフォノ・ウンブレロⅠ(Traforo Umberto Ⅰ)【ローマのフィールドワーク】

トラフォノ・ウンブレロⅠ(Traforo Umberto Ⅰ)
【写真はクリックで拡大】

ローマ市内で一番有名なトンネル「トラフォノ・ウンブレロⅠ(Traforo Umberto Ⅰ)」。七つの丘のひとつクイリナーレの丘を貫くトンネル。1902年から1905年にかけて造られ2本の幹線道路(トリトーネ通りとナチィオナーレ通り)を結ぶ。ローマのテルミノ駅から市内観光名所へショートカットできる。Traforoとはトンネルのこと。東京都内で似たような景色を見たことがある。それは愛宕山を貫く愛宕トンネルだ。

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ポンペオ劇場(Teatro di Pompeo)は今【ローマのフィールドワーク】

ポンペオ劇場跡地(ローマ)
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BC55年に建造されたポンペオ劇場(Teatro di Pompeo)は今。当時の形状がはっきりと分かる建物になっている。劇場、ホテル、レストランなどとして使われている。地下に当時の構造物が眠っており建物を支えている。日本では2020年東京五輪に向かい国立競技場の建替えが議論になっているがローマに学べることは多いと思う。過去の歴史的建築物の一部を活用して新たに建てる方法もある。文化という側面から言えば2度の五輪を開催したモニュメントとして後世に引き継げると思う。

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